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Artist

COMPAY SEGUNDO Y SU GRUPO

Title

BALCON DE SANTIAGO



Japanese Title 国内未発売
Date 1956/1957
Label TUMBAO TCD-093(EP)
CD Release 1998
Rating ★★★★☆
Availability ◆◆◆


Review

 「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のヒットで一躍時のひとになったコンパイ・セグンドのCDをネット上で検索してみたら、驚くほどたくさん出てきた。わたしはこの1枚きりしか持っていない。でも、これってやっぱりバブル以外のなにものでもない。

 コンパイ・セグンドがすばらしいミュージシャンであることは認めるにやぶさかではないけれど、かれは主役を張るというより、どちらかというと脇でキラリと光るタイプだ。たんに長生きしているってことが、かれを主役に押し上げたとでもいうのか。役者でいえば、晩年に水戸黄門役に抜擢された西村晃のようなものなのか。

 コンパイ・セグンドこと、フランシスコ・レピラードは、1907年にキューバ東部のオリエンテ州シボネイに生まれた。その後、家族とともにサンティアーゴ・デ・クーバへ移り住む。サンティアーゴ・デ・クーバはシンド・ガラーイやミゲール・マタモロスなど、多くのソングライターやミュージシャンを輩出したことで知られるキューバ音楽の聖地のような場所。ここでトリオ・マタモロスの面々や、いとこのロレンソ・イエレスェーロらと交流しながら、着々とミュージシャンとしてのキャリアを積んでいったフランシスコは、やがてハバナへとのりこむ。

 トレス、ギターのほかに、クラリネットもよくしたかれは、ハバナでも引っぱりだこで、42年には、ミゲール・マタモロスが結成したコンフントに、いとこのロレンソとともにクラリネット奏者としてひっぱられる。マリア・テレサ・ベラとデュエットを続けながらの参加であったロレンソはまもなく脱退するが、フランシスコは数年間、このコンフントに籍を置くことになった。コンフント・マタモロス時代の演奏は、SEPTETO Y CONJUNTO MATAMOROS "CAMARON Y MAMONCILLO"(TUMBAO TCD-044)CONJUNTO MATAMOROS "BAILARE TU SON"(TUMBAO TCD-070)などで聴ける。

 大戦後の48年、ロレンソの誘いで結成されたのがロス・コンパドレスである。互いにマタモロスとマリア・テレーサとの二足のワラジを履いての活動であったが、これが思わぬ反響を呼んだ。このとき、ラジオ局のアナウンサーから命名されたのが、ロレンソは「おにいちゃん」を意味する「コンパイ・プリモ」、フランシスコは「おとうと」を意味する「コンパイ・セグンド」であった。ふたりのコンビネーションはぴったりで、トロバドール(吟遊詩人)の流れを汲んだ哀愁にみちたソンは、同系統のトリオ・マタモロスの音楽から湿気を抜いたような素朴さがある。コンビは55年までつづくが、これらの演奏はキューバ音楽ファン必聴のアイテムといえよう。("CANTANDO EN EL LLANO"(TUMBAO TCD-061)"SENTIMIENTO GUAJIRO"(TUMBAO TCD-095)

 コンビ解消後、まもなく結成したみずからのグループによる最初期の演奏を収めたのが本盤。基本的にはロス・コンパドレス時代のサウンドに近いが、ミュート・トランペットをフィーチャーしたり、ユーモラスなかけ声をいれてみたりと、ロス・コンパドレスよりも都会的なシャープさとウィットが光る。ヴォーカルに、コンフント・マタモロス時代の同志だったカルロス・エンバーレ、エンバーレ脱退後は若き日のピオ・レイバをむかえたことで、よりアフロ色がつよいリズミカルなサウンドに仕上がっている。コンパイ・セグンドのトレスも堅実だがキラリと光る冴えをみせる。
 典型的なのは、ソンやグァラーチャなど、それまでの路線に加えて、2曲でドミニカ生まれのリズム、メレンゲをとりあげていること。この時期の代表曲に数えられる自作のソン'SIGUE EL PASO NO.1' にしたところで、グィロが刻むリズムがどこかメレンゲっぽい陽気さがある。

 全体に文句の付けようのないぐらいサウンドのクオリティは高いのだが、マンボや歌謡グァラーチャ全盛の時代にこのサウンドではいかにも地味。
 考えてみれば、マンボとかグァラーチャが時代の流れのなかで国際化し、やがてサルサなど新しいスタイルへと収斂していったのにたいして、コンパイ・セグンドの音楽はキューバ国内でさして変化することなくつづけられたからこそ、21世紀を目前に控えた時代にライ・クーダーによって「ブエナ・ビスタ」として脚光を浴びる結果を招いたのかもしれない。そうか、文化遺産と考えればいいんだ。わたしは、そんなとらえ方はまっぴらごめんだけどね。


(8.12.02)



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by Tatsushi Tsukahara